1,300日、毎日顔を合わせてきた面々がいる。
フランス語のあの人、韓国語のあの人、イタリア語のあの人……。正直、もはや家族みたいな距離感になってきてる。今日は、そんなDuolingoの住人たちについて、勝手に裏設定を妄想していきたいと思う。もちろん、全部僕の主観と偏見です。
リンゴ先生:全ての元凶にして、全ての中心
まず語らないといけないのが、緑色のフクロウ、リンゴ先生の存在感だ。
正直、最初の頃は「かわいいマスコットキャラ」くらいの認識だった。でも1,300日、毎日通知を送られ続けてわかったことがある。このフクロウ、絶対に僕らのことを本気で心配してない。心配してるフリをして、ただ単純にレッスンを完了させたいだけだ。
「レッスンをしないとどうなるか、わかってるよね?」的な圧を、あの丸い目でかけてくる。あれ、絶対に「愛」じゃなくて「執着」だと思ってる。でも、その執着のおかげで1,300日続いてるので、感謝はしてる。複雑な気持ちだ。
各言語コースの主要キャラたちの温度差
面白いのが、言語コースごとにキャラクターの「キャラの濃さ」が全然違うこと。
フランス語コースは、なんというか、みんな余裕がある。多少間違えても「まあ、いいよね」みたいな空気を纏ってる気がする。パリジャンのイメージそのままというか、勝手にそう解釈してる。
一方、韓国語コースのキャラクターたちは、感情表現がとにかく豊かだ。正解した時のリアクションも、間違えた時のリアクションも、フランス語コースより明らかにドラマティック。K-POPやドラマの国だからか、勝手に納得してしまう。
イタリア語コースは、とにかく陽気。文法の説明すら、なんか楽しそうにやってる気がする(気のせいかもしれない)。
こういう「勝手な深読み」ができるのも、複数言語を同時にやってるからこその楽しみだったりする。1言語だけだと気づけない、コースごとの「お国柄」の違いを、勝手に妄想して楽しんでる。
僕が個人的に推してる、脇役キャラの存在
主役級のキャラだけじゃなく、たまにしか出てこない脇役キャラにも、実は愛着が湧いてくる。
「あ、こいつ久しぶりに出てきたな」というだけで、なぜか嬉しくなる。まるで、たまにしか会わない親戚のおじさんに再会したような感覚。存在感は薄いのに、いなくなったら地味に寂しいタイプのキャラクターたち。
1,300日も同じ画面を見続けてると、こういう「脇役への謎の愛着」が育ってくる。効率だけを考えたら、キャラクターの個性なんて継続には関係ないはずなのに、実際はこの愛着が、地味に継続のモチベーションを支えてたりする。
なぜゲームのキャラクター設定が「継続」に効くのか
これ、真面目に分析すると、けっこう理にかなってると思う。
無機質な単語帳や文法書だと、「勉強してる」という感覚しか湧いてこない。でもキャラクターが介在すると、そこに「関係性」が生まれる。毎日同じキャラに会いに行く感覚。これ、地味だけど継続の心理的ハードルをかなり下げてくれてる気がする。
人間って、無機質なタスクよりも、キャラクターや物語が絡んだタスクの方が、感情的に続けやすい生き物なんだと思う。子供が「キャラクターと一緒に歯磨きする」と歯磨きを嫌がらなくなるのと、たぶん同じ原理。大人になっても、この仕組みは意外と効く。
1,300日、キャラクターたちと積み重ねてきた妙な絆
冷静に考えると、これはただのアプリのイラストだ。人格なんてない。プログラムされた反応をしてるだけ。
わかってる。わかってるけど、それでも1,300日毎日顔を合わせてると、そこに勝手に物語や愛着が生まれてしまう。リンゴ先生の圧の強さに苦笑いしながら、韓国語コースのキャラのオーバーリアクションに笑いながら、フランス語コースの余裕っぷりに謎の憧れを抱きながら。
こういう「勝手な愛着」を積み重ねられることも、ゲーム感覚で語学を続けてこられた理由の一つだと思ってる。真面目に効率だけを追いかけてたら、たぶんこの視点には気づけなかった。
キャラクターたちに、今日も律儀に会いに行く。それが、僕の1,300日の日常だ。


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