【体験談】TOEICを諦めたら、6カ国語の扉が開いた話(資格の呪縛から逃れて自由になる方法)

ゆるっと継続ライフ
TOEICを諦めたら、6カ国語の扉が開いた話

TOEICのスコアシートを最後に見たのは、もう何年前だろう。

300点台だった。正確な数字はもう思い出したくもないけど、たしか330点とか、そのあたり。

「あと少しで800の壁」とか、そういう惜しい話じゃない。そもそもスタートラインにすら立ててなかった。会社の同期がTOEICの話で盛り上がってる時、僕はただ愛想笑いをして、その場をやり過ごすことしかできなかった。

会社員時代、TOEICのスコアって「昇進のための踏み絵」みたいな扱いだった。900点あれば箔がつく、700点台なら「まあまあ」、そして300点台は……何も言われない。ただ、静かに存在を無視される。それが一番きつかった。

だから僕もそのゲームのルールに乗っかろうとした。単語帳を開いては閉じて、模試を解いては自己嫌悪して、を繰り返してた。300点台から抜け出せないまま、何年も。

そして、ある日フッと糸が切れた。

「もう、いいや」


300点台が教えてくれた、たった一つのこと

正直に言うと、TOEICを諦めた時、罪悪感より先に来たのは「安堵」だった。

だってもう、届かない目標に手を伸ばし続けなくていいんだから。

「英語学習者たるもの、TOEICのスコアを追うべきでは」という謎の義務感。会社を辞めて独立した後も、その呪縛だけは律儀に持ち歩いてた。誰にもスコアを見せる必要なんてないのに、自分で自分を採点し続けてた。300点台という数字を、心のどこかでずっと引きずりながら。

でもある夜、なんとなくDuolingoを開いて、気まぐれで韓国語のコースをタップした。

理由なんてなかった。ハングルがちょっとカッコよく見えた、それだけ。

TOEICの勉強をしてる時は、常に「正解」と「点数」がついて回ってた。この文法は正しいか、このスコアは何点分か。300点台の僕にとって、それは常に「できない自分」を突きつけてくる装置でもあった。でも韓国語のレッスンには、それがなかった。ただ「깜짝이야(びっくりした)」みたいな単語を覚えて、「これ、K-POPのMVで聞いたことある!」って喜んでるだけ。

点数のためじゃない。ただ、楽しかった。

300点台の僕が、生まれて初めて「言語」を点数抜きで楽しんでる瞬間だった。

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資格が奪っていた「言語そのものの面白さ」

ここで気づいたことがある。

TOEICを追いかけてる間、僕は「英語」を勉強していたようで、実は「試験」を勉強していたんだと思う。しかもその試験で、僕はずっと落第点を取り続けていた。

Part 5の文法問題のパターン、Part 7の速読テクニック、頻出単語1000。どれも「点数を取るための技術」であって、「言語でコミュニケーションする喜び」とは、正直ちょっと違うものだった。300点台の僕には、その技術すら身についてなかった。

資格試験って、ゴールが明確な分、道のりがめちゃくちゃ狭くなる。決められたルートを、決められたスピードで進まないといけない。しかも僕は、そのルートの入口あたりでずっと立ち止まってた。脇道に逸れることさえ許されないまま、本道でも進めないまま。

でも言語そのものは、本来もっと広くて、寄り道だらけで、無駄だらけのはずなんだよね。300点台の僕でも、寄り道するだけなら誰にも採点されない。

「なんとなく」で選んだ国が増えていった

韓国語から始まって、気がつけばフランス語、イタリア語、スペイン語、そして中国語、ポルトガル語……と、なんとなく増えていった。

どれも「資格試験があるから」ではなく、

  • 旅行で行った国の言葉が、なんか耳に残ってたから
  • 好きな映画の言語だったから
  • 単純に文字がカッコよかったから(アラビア語、これ)

こんな不真面目な理由ばかり。TOEIC300点台だった頃の僕なら、絶対に「それ、時間の無駄じゃない?点数にもならないのに」と自分を叱ってたと思う。試験に出ない努力は、努力として認められない気がしてたから。

でも、この不真面目な選び方こそが、6カ国語との細く長い付き合いを可能にしてくれた気がしてる。

資格の呪縛から自由になって、見えたもの

資格って、「これだけやれば認められる」という安心をくれる代わりに、「これ以外はやらなくていい」という制限もセットでついてくる。

でも僕の場合は、そもそもその「安心」すら手に入らなかった人間だ。300点台という数字は、安心どころか、ずっと不安の種だった。

TOEICを手放した時、実は同時に「英語だけやればいい」という思い込みも、「点数を取れない自分はダメだ」という思い込みも、両方手放してたんだと、後になって気づいた。

点数という物差しがなくなると、代わりに残るのは「今日、この言語に触れて楽しかったかどうか」だけになる。すごくシンプルで、すごく頼りない指標。でも300点台しか取れなかった僕にとっては、これが初めて「合格」できた基準だった。

証明する相手がいない。見せる履歴書もない。ただ、自分が「面白い」と思うかどうか。

そんな基準で6カ国語と付き合い続けて、今、僕はDuolingoで1,300日を超えた。

資格を目指す人を否定してるわけじゃない

誤解しないでほしいんだけど、TOEICやTOEFLを目指すこと自体は全然悪いことじゃないと思ってる。就職や進学に必要な人には、間違いなく必要な指標だから。

ただ、僕みたいに300点台という数字に何年も苦しめられて、「自分は英語ができない人間なんだ」と思い込んでる人がいたら、伝えたい。

資格を手放しても、言語の扉は閉じない。むしろ、300点台という「できなさの証明」から自由になった瞬間に、初めて開く扉もある。

あの頃、模試の点数を見るたびに落ち込んでいた僕には想像もつかなかった景色が、今、目の前にある。

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